【史跡】道標の行方
京都には様々の道標があります。
ちなみに一番古いのは、旧東海道・三条通りの白川橋の東側のたもとにあるものです(1678年のもの)。
京都はさすがにそれなりに歴史がある町ですから、少し歩いただけでも様々な道標を見つけることができます。そしてこちらもその一つ。
これは、「南 右 京大津みち」と書いてあるようです。
別の角度から。
こちらは「東 左り ふねのり場」と書いてあるようです。
撮影場所は、伏見区の京街道沿いなので、この表記は納得がいきます。つまり、最初のものは、「南」を向いており、「右」の方面に行くと、「京」(の中心街の方角。そして、伏見と同じく港がある)「大津」(へ行く)「みち」を指し示しているはずです。
二番目のものは、「東」側を向いており、「左り」に行くと、(伏見の)「ふねのり場」にたどり着く、ということで解釈はいいと思います。
こちらの「読み」は以下のサイトを参考にしました。
いうまでもないことですが、これらの道標は今では、情報としての役割はありません。昔の遺跡というもの以上の価値はないでしょう。しかしながら、古いものであるゆえに、一旦無くしてしまうと、永遠に取り返すことはできません。いうまでもなく、撤去は一瞬、そして、これを取り戻そうと思ったら、恐ろしいほどの時間と調査と努力が必要になります。
そういうこともあって、歴史ある町の義務として、こういう歴史証人である道標は、しっかりと管理、かつ保存、調査が必要なわけです。しかし、この写真(2017年5月に撮影されたものです)を見る限りは、「昔からあるものだから、とりあえず、置いてある」という以上の扱いはされていないと思われます。
私は日本語が第一言語ですので、ある程度は日本語の古いものにも馴染んではいますが、さすがに200年以上前のものですと、正確な読解は訓練しないと困難です。よって、ちゃんとした読み方と解説などがあるものが欲しいところですが、そのような解説を見つけることはなかなか困難です。
ぜひ、京都市はこのような歴史的証人である道標のデータベース化をしていただき、後世にしっかりとした形で残して欲しいと思います。
京都の道標―忘れられた路傍の文化財を再認識するために (1966年)
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こんなのがアマゾンで出てきました。さすがに現物を購入することは難しいと思われますが、京都府立図書館には蔵書として検索がヒットしました。近日中に見に行って見たいと思います。
【史跡】大宅の一里塚跡
京都に限りませんが、かつては日本中の主要幹線にあった一里塚は、ほとんどかつての威光を残しているところはありません。当然ですが、交通システムが徒歩であった時代とは全く違いますから、仕方ないとは言えますが、ちょっと寂しいとも言えます。
さて、では京都市ではどれくらいこの一里塚が残っているかということですが、ある程度「史跡」として言えるような形で残っているところはほとんどなく、とりあえず、こちらの「大宅一里塚跡」をご紹介します。
撮影時間が夜でしたので、怪しさ満点なのはご容赦ください。
京都市による解説も、こんな風にしっかりあります。ここは、いわゆる「東海道五十三次」というよりも「東海道五十七次」つまり江戸から三条大橋をゴールとする「五十三次」ではなく、大阪の高麗橋をゴールとする「五十七次」の一部になります。
京阪追分駅の近くから別れて、まっすぐ西に向かわず、南西に向かうとここにたどり着きます(今でもほぼ同じ道を歩くことができます。「京街道」「伏見街道」「奈良街道」とも言います)。
こちらが「追分の道標」ここで、三条方面に向かう道と、伏見、奈良、大阪方面へと行く道が別れます。ギブスの跡が痛々しいですが、これは交通事故の跡だそうです。旧東海道は地元の方の裏道として利用されることが多く、それゆえに交通量も案外多いのです。しかも、慣れている道ということもあって、結構スピードを出していることが多いです。
全体としてはこんな感じになっていて、真ん中にはお地蔵様が設置されています。実は、この写真の右手奥には、かつては樹高11mもの大きな榎の木がありました。ところが、この撮影がなされてた時(2017年1月)にはもう存在していません。
【神社仏閣】藤森神社
葛飾北斎の「東海道五十三次」続報
以前のエントリーで、こんな記事を書きました。
その後、さすがにこれはどうかと思った人が多いらしく、京都新聞などでもこの件に関連するニュースが流れてきました。
(『京都新聞』2017年05月25日ウェブ版)
この記事は、要するに上記の私のエントリーが指摘するように、「葛飾北斎が東海道五十三次の作品を作っていたなんておかしい」ということを記事にしているものです。
実は、この話は正しくもあり、間違いでもあります。
まず、「正しい」方から言いますと、「葛飾北斎にも東海道五十三次をテーマにした作品はある」ということです。要するに、この山科駅の近くにあった観光案内そのものは、間違いではありません。偶然にも、ちょうど東京にあるすみだ北斎美術館では、企画展として「てくてく東海道-北斎と旅する五十三次-」が行われています。
期間は、2017年4月18日(火)〜 2017年6月11日(日)ですので、皆さんがこちらの記事を読んでいる時点では、すでに終了している可能性があります。しかし、事実としては、山科の観光案内の記述は「間違ってはいない」ということができます。
では、「間違っている」方は何か、と言いますと、より有名な歌川広重を無視して、わざわざ葛飾北斎の名前を出すというのは、一般的な観光用の掲示板としては大いに間違っている、と言わざるを得ません。「五十三次の作品は広重だけじゃなくて、北斎もあるよ」ということを強調するものであるならともなく、この看板はそういう意図のものではありません。また、どちらかというと北斎の中でもマイナーな作品であるものを、限られた字数の中で書く必要もないと思われます。「嘘ではないけれど、正しいとは言えず、観光用としては間違っている」ということだと思われます。
さすがに京都市も、これまでの駒札(この掲示板のようなものって、「駒札」っていうんですね)を撤去、新しいものに付け替えるそうです。まあ、それはそうでしょうね。
上の写真は、駒札から説明板を取り除いたもの。気持ちはわかりますが、なんか書いておいたほうがいいような気もします。何にも書いてないのも、なんと言いますか、殺風景と言いますか・・・
それはそうと、この「駒札」(こまふだ)ですが、一般的な名詞ではないのでしょうか?というのも、手元にある『大辞林』にも『精選版 日本国語大辞典』のどちらにも載っていないのです。
京都一周トレイルF21-23
行ったことありませんが、「京都一周トレイル」というのがあります。
こっちが一応公式サイトのはずなのですが・・・ちとわかりにくい。
これ、ページの下の方に情報がありますので、ご注意。そもそも「京都一周トレイル」とは、というのを引用しますと;
京都一周トレイルは,京都の東南,伏見桃山から,比叡山,大原,鞍馬を経て,高雄,嵐山,苔寺に至る全長約83.3キロのコースと,豊かな森林や清流,田園風景に恵まれた京北地域をめぐる全長約48.7キロのコースからなります。
とあります(上記ウェブサイトより)。
ちょっと日本語がおかしいですけれど、まあいいたいことはわかります。つまり京都府には;
- 京都市を巡る83.3キロのコース
- 京北地域を巡る48.7キロのコース
の二つがあるということです。ここで取り上げるのは前者の方です。
こんな風に、現在地と番号、そして最小限という感じですが、近隣の情報があります。
こういうのこそ、QRコードを使って情報提供をしてほしいと思うんですけれどね。
これらの写真は、伏見あたりを散歩していた時に、撮影したものです。
全部歩いて、撮影してみると何か面白そうな気もしますが、どうかな。ちなみに、当然と言えば当然なのですが、これらを歩く際のガイドマップがちゃんと販売されています。ですが(これがなかなか理解に苦しむところなのですが)、公式ガイドマップって、アマゾンとかじゃ売ってないんですよね。なぜだ。
京の絶景と名所旧跡めぐり: 「京都一周トレイル」で、東山・北山・西山を歩く (京都を愉しむ)
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とりあえず、こちらで我慢。