【史跡】大宅の一里塚跡
京都に限りませんが、かつては日本中の主要幹線にあった一里塚は、ほとんどかつての威光を残しているところはありません。当然ですが、交通システムが徒歩であった時代とは全く違いますから、仕方ないとは言えますが、ちょっと寂しいとも言えます。
さて、では京都市ではどれくらいこの一里塚が残っているかということですが、ある程度「史跡」として言えるような形で残っているところはほとんどなく、とりあえず、こちらの「大宅一里塚跡」をご紹介します。
撮影時間が夜でしたので、怪しさ満点なのはご容赦ください。
京都市による解説も、こんな風にしっかりあります。ここは、いわゆる「東海道五十三次」というよりも「東海道五十七次」つまり江戸から三条大橋をゴールとする「五十三次」ではなく、大阪の高麗橋をゴールとする「五十七次」の一部になります。
京阪追分駅の近くから別れて、まっすぐ西に向かわず、南西に向かうとここにたどり着きます(今でもほぼ同じ道を歩くことができます。「京街道」「伏見街道」「奈良街道」とも言います)。
こちらが「追分の道標」ここで、三条方面に向かう道と、伏見、奈良、大阪方面へと行く道が別れます。ギブスの跡が痛々しいですが、これは交通事故の跡だそうです。旧東海道は地元の方の裏道として利用されることが多く、それゆえに交通量も案外多いのです。しかも、慣れている道ということもあって、結構スピードを出していることが多いです。
全体としてはこんな感じになっていて、真ん中にはお地蔵様が設置されています。実は、この写真の右手奥には、かつては樹高11mもの大きな榎の木がありました。ところが、この撮影がなされてた時(2017年1月)にはもう存在していません。