葛飾北斎の「東海道五十三次」?
先日、京都市の立てた観光用の看板(これを駒札というそうです)で、こんなものがありました。
京都市の観光地には、(全てではありませんが)多くの場所で、京都市が設置した立て看板があります。写真のものは、山科駅の近くにある旧東海道(旧三条街道)を解説したものです。
観光用ですので、ある程度コンパクトな説明になることは、まあ仕方ないといえましょう。それはいいのですが、ちょっと気になる記述がありました。
葛飾北斎といえば、泣く子も黙る?、日本の浮世絵そのものと言ってもいいような人物、代表作の「富嶽三十六景」といえば、誰でも一度は見たことがあるような日本を代表するアーティストであることは間違いないと思います。
しかし、「東海道五十三次」とは?
私は美術史などにもそれなりの関心はありますが、専門的に教育を受けたこともなく、アマチュアであることは間違いなのですが、葛飾北斎が「東海道五十三次」という作品を残したということは、初耳(初見)でした。
世の中、まだまだ知らないことがあるな、と思う今日この頃です・・・
が。
素直に考えて、これは、「葛飾北斎」ではなく「歌川広重」(うたがわ・ひろしげ)の間違いであると思われます。
ここまで、自信たっぷりに書かれると、こちらが間違っているのではないかと思い、いろいろ調べてしまいました。いやはや。
ちなみに、歌川広重は京都には来ていない説もあります。
<追記>
実はこの話には、続きがあります。
葛飾北斎の「東海道五十三次」続報 - KyotoToday---写真と動画で京都のいろいろをご紹介
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